プロフィール

 

1983年08月生まれ

札幌市生まれ

 

■学生時代

幼少期から、母が病気持ちだったため、ごはんはお金を渡され、日々コンビニの弁当や、家の近くにあるKFCを食べて育つ。

 

そんな中、小学生から肥満体形で体育は苦手。
だからといって勉強もできず、通知表では「1」ばかり。

唯一数学だけは得意。計算が好き。
計算好きが功を奏し、高校では商業科で簿記や、電卓などの資格をコンプリート。税務大学を目指したが、数学以外の国語や英語などの知識が一定レベルにすら追い付かず、試験パスできず残念。
家も裕福ではなかったので、大学へは行かず、就職することを決断。


■会社員時代(1社目)
高校卒業し、地元札幌の放送局向けシステム開発会社へ就職。
元々この会社へは経理志望で採用試験受けたが、不合格。
ただその採用試験を受けた際に、プログラマ適正試験というものもやらされ、プログラマ適正が高かったらしく、プログラマ採用で入社。

ただこの時は、税理士になる事を目標にしていたので、並行して簿記の勉強も続ける。

開発言語はC、C++で、OSはWindowsLinuxメインだが、Solarisなどでも実施。
放送局向けという事もあり、自分が開発したものがテレビに映し出されることに感動。

当時はアナログ→地上デジタル放送への移管タイミングでもあり、会社としてもいろいろな仕事を行っていたが、その波も収まり、会社の経営が傾く。
もうここにいても危ないと思い転職する。
ちなみに転職してから3か月後に倒産しました。


■会社員時代(2社目)
外資系大手コンサルファームが札幌に事業所を立ち上げるという記事が、北海道新聞の1面に掲載され、その記事を見て、転職する。

初め1ヶ月はABAPというプログラミング言語の研修を受ける。

その後、新川崎のPJTにアサインされ出張生活のはじまりはじまり
平日川崎、土日札幌の生活が続く。毎週JALの往復で移動するため、マイレージが貯まる。このころから出張生活に味を占めるようになる。

そんな生活もつかの間、リーマンショックのあおりを受け、札幌の事業所が閉鎖になることが決定。退職勧奨を受ける。


フリーランス時代
退職はしたものの、アサインされていた新川崎PJのプロマネから、個人契約で継続してやらないかとお誘いいただき、フリーランスとして活動を始める。

1社目でやっていた、オープン系の開発C、C++開発案件をやったり
2社目でやっていた、ABAPの開発案件をやったり、今にいたる。